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2009.04.30

今更ながら50年代のフィルハーモニア管のクオリティの高さに脱帽

 昨日は良い天気の行楽日和でしたね。私はといえば、自宅で静養しながら雑用をしておりました。来週はラ・フォル・ジュルネのある黄金週間ならぬ「熱狂週間」なので「ウェブラジオ番組表を早めに作っておかないと…」と思い、朝から公式サイトの番組表を翻訳していたのですが、今日はイマイチはかどらなかった…。というか私の知らない作曲家や演奏家の名前が立て続けに出てくると、どうしてもこうなる。海外のクラシック専門局は有名曲ばかり流しているわけでないのだ。中世の音楽から現代音楽まで、「聞きたい人っているのかな…」と思うようなプログラムを、結構平気で流してくる。でもそんなマイナーな曲目に限って、「教えてくれてどうもありがとう」というコメントを読者から頂いたりするのだ。だから気が抜けない。あー全世界のウェブラジオが年がら年中ブルックナーの「交響曲第8番」だけを流してくれたら、番組表作りが今の数百倍楽になるだろうに(苦笑)。

Karajan_emi_vol1  それはそうと(笑)昨日は番組表を作りながら、以前購入したカラヤンのEMIボックス(→HMV)を聞いておりました。2月11日に購入して、今日やっと「Vol.1」の34枚目を聞き終えることができたよママン。でもまだ53枚あるよパパン。

 というわけでカラヤンがフィルハーモニア管弦楽団と録音した50年代の録音を聞いている真っ最中なのですが、このフィルハーモニア管との演奏がどれもこれも名演奏ばかりで、そのクオリティの高さに驚いております。まず何よりフィルハーモニア管がウマイ!草創期のフィルハーモニア管が、あのデニス・ブレインを始め錚々たる名手たちが集うオケだったということは聞いてはいましたが、よもやこれほどだったとは!

 このコンビの演奏はどれも魅力的なのですが、特に感心したのがベト7(Disc12)とブラ1(Disc17)。どちらも優秀なメンバーを揃えたオケでなければ聞けない、実に密度の濃い演奏なのですが、そのどちらにもカラヤンの他の演奏、いや他の全ての演奏でも聞くことができない表現があります。「ベト7」第1楽章の提示部で、フェルマータのあとヴァイオリンの上昇音型に導かれるようにホルンが第1主題を高らかに鳴らす箇所がありますが(※1)、ここでカラヤン(50年代)はフェルマータを「ジャーン!」とものすごく伸ばすんです。そしてその直後の休符を、カラヤン(50年代)はやや長めに取って「溜める」んです。そしてトゥッティによる感情の爆発がドカン!実に効果的です。「カラヤンもこんなことをやってる時代があったんだな」と思いました。「ブラ1」では第1楽章の展開部から再現部に入る直前のクライマックスの場面(321小節目以降:※2)。ヴァイオリンの弾く16分音符の走句の表現力がすごいです。まるで渦巻く怨念のようです。

 あとカラヤンEMIボックスは、「歴史的名盤」の誉れ高い名演奏の良さを再認識するものとなりました。ギーゼキングのモーツァルト(Disc28)にリパッティのシューマン(Disc34)、そしてブレインのモーツァルト(Disc26)。どれも聞き惚れてしまい、何度も聞き直してしまいました。そしてフィルハーモニア管の名手たちを一度に愉しむなら、Disc29のモーツァルト「協奏協奏曲(K297b)」になるでしょうか。シドニー・サトクリフ、バーナード・ウォルトン、セシル・ジェイムズ、そしてデニス・ブレイン…。いずれもファンの間で語り継がれる名プレーヤーたちということで、管楽ファンにとってはたまらない組み合わせでしょう。


(※1)IMSLPにあるスコア(Litolff Edition)だと7ページ目の下段。
(※2)同サイトにあるBreitkopf & Härtelのスコアでは練習番号「K」以降。

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