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2009.01.23

ベルリン・フィルと共演した最初の黒人指揮者

 アメリカ合衆国の第44代大統領にバラク・オバマ氏が就任しました。黒人初の米国大統領は就任演説で「私の父は60年前にはレストランにさえ行けなかった」と述べましたが、今から遡ること64年前、1945年にベルリン・フィル(BPO)を指揮した黒人音楽家がいます。

Rudolf_dunbar

 その人、ルドルフ・ダンバー(Rudolf Dunbar; 1907-88: 写真)は英領ギニア(当時)出身で、ジュリアード音楽院の前身である「音楽芸術研究所」(The Institute of Musical Art)で音楽を学びながら、ハーレム地区でジャズ・クラリネット奏者としても活躍しました。ニューヨークの音大を卒業後、彼はヨーロッパに渡りフィリップ・ゴーベールやフェリックス・ワインガルトナーに師事して指揮法を学びます。その後イギリスに居を構えたダンバーはクラリネットの教師として後進の指導にあたるとともに、指揮者としても1942年にロンドン・フィルと共演していました。

 ダンバーがBPOを指揮したのは、1945年9月3日のことです(※)。この時期のベルリンの音楽事情については、私よりも読者の皆様のほうがご存じかと思いますが、同年8月23日に当時のBPO音楽監督、レオ・ボルヒャルトが駐留米軍の誤射で命を落としています。そして同じ月の29日には、ルーマニア出身の若者、セルジュ・チェリビダッケが野外コンサートでBPOデビューを果たしています。実は、ボルヒャルトは亡くなる直前、当時「Associated Negro Press」の仕事でベルリンに滞在していたダンバーに、BPOの指揮を依頼していたのです。

 彼はコンサートで、ウェーバー「オベロン」序曲とチャイコフスキー「悲愴」、そしてウィリアム・グラント・スティル(1895-1978)の「交響曲第1番・アフロ=アメリカン」を演奏しました。会場に詰めかけた2000人の地元住民と500人の米兵たちは歓喜に沸いたといいます。

 その後のダンバーは、アメリカやポーランド、旧ソ連などで指揮活動を行ったものの、楽壇で輝かしいキャリアを築くことなく1988年にロンドンでその一生を終えています。あのときボルヒャルトが撃たれなければ、ダンバーはもう少しベルリンで演奏活動の機会が与えられたのでしょうか。それは誰にもわかりません。今はただ、ジャッキー・ロビンソンのメジャー・リーグ・デビューよりも早くBPOの指揮台に立ったダンバー氏のことに思いを馳せてみたいと思います。

(※)ダンバーがBPOを指揮した期日については、以前mixiで彼の記事を書いたときにHayesさまから御教示頂きました。改めてこの場で御礼申し上げます。

(参照)
Time. Rhythm in Berlin. (September 10, 1945)
On An Overgrown Path. Berlin Philharmonic's first Black conductor.

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Comments

KDMさまこんばんは。コメントありがとうございます。

Rudolf Dunbarのことを初めて知ったときは私も驚きました。終戦前後のベルリンの音楽界については、すでに語り尽くされた感すらありましたが、まだまだ「埋もれた歴史」があったわけですから。

Posted by: おかか1968 | 2009.01.28 00:51

こんにちわ。

マエストロ・ダンバーについては寡聞にして知りませんでした。

これはすごい。

曲目もすごい。グラント・スティル!

興奮したのでコメントしちゃいました

Posted by: KDM | 2009.01.27 22:08

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