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2008.10.21

グリーグとグレインジャー

 今月23日(木)にオーストラリア放送協会「ABC Classic FM」でベルゲン・フィルと自動ピアノの共演という、ちょっと変わったコンサートがオンエアされます。曲目はベルゲンに縁のある作曲家グリーグの「ピアノ協奏曲」、ピアノ・ロールの「ソリスト」はパーシー・グレインジャー(1882-1961)です。

10/23 (Thr) 11:05-14:05 (現地時間 13:05-16:05/AEDT)
 ABC Classic FM (wma)
 アンドリュー・リットン指揮ベルゲン・フィル
 グリーグ:ピアノ協奏曲、マーラー:交響曲第9番

 番組表を見る限り、この演奏会で用いられたのは、グレインジャーが1921年に残したピアノ・ロールのようです。自動ピアノ「Duo-Art」のカタログにも、このグレインジャーのグリーグがリストアップされています。カタログ番号は第1楽章から順に「#6475」「#6479」「#6485」です。あとこれは裏が取れてないので何とも言えないのですが、ここにあるmp3が、このピアノロールの演奏っぽいですね。時間が許せば、「ABC Classic FM」の放送を聞いて比較してみたいと思います。

 さてグレインジャーという名前は、吹奏楽経験者なら「リンカンシャーの花束」でご存じかとは思いますが、「ピアニスト」グレインジャーが顧みられる機会は、日本では殆どないのではないでしょうか。ましてやこのオーストラリア出身(そうなんです。私もイギリス人だと勘違いしてた時期がありました:笑)の歴史的音楽家が、ノルウェーの巨匠・グリーグと個人的に親しい関係にあったことを知る人は少ないのではないかと思われます。2人の関係についてはWikipediaにも触れられてはいますが、ここではWikipediaに記載されていない事を中心に書いてみたいと思います。

Grainger02

(写真1)パーシー・グレインジャー

 メルボルン近郊で生まれたグレインジャーは、5歳のころから母親のピアノの手ほどきを受けるとメキメキと上達し、やがてアントン・ルービンシュタイン門下のピアニスト、ルイス・パブストから指導を受けるようになります。彼は19世紀ロシアを代表するピアニスト、パーヴェル・パブスト(1854-1897)とは実の兄弟にあたる人物ですが、この当時はメルボルンに住んでいました。実はグレインジャーにグリーグの音楽を紹介したのが他でもない、このルイス・パブストだったのです。もっともその頃バッハに夢中になっていた(!)グレインジャー少年は、「こんな感傷的な音楽は僕の好みじゃないよ」と先生に楯突くこともあったようです。

 12歳の誕生日の翌日、地元メルボルンでデビュー・リサイタルを開いたグレインジャーは、翌年の1895年にはイタリア経由でドイツに渡り、フランクフルトのジェームス・クヴァスト(1852-1927)の門下生となります。クヴァストはライネッケやルイ・ブラッサンらに学んだオランダ人ピアニストですが、クラヲタ的には「オットー・クレンペラーのピアノの師匠」と言った方が「おおーっ」と来るかもしれません。さてグレインジャーはクヴァストの下で6年間修行したのですが、彼自身はクヴァストの指導にあまり共感できなかったようです。むしろコンサートで聞いたオシップ・ガブリローヴィチやオイゲン・ダルベールの演奏に強い感銘を受けると共に、クララ・シューマン直系のカール・フリートベルク(1872-1955)やリストの高弟フレデリック・ラモンド(1868-1948)らの個人レッスンを受けたりしていました。

 グレインジャーは1901年にロンドンに渡り、同地で初となるリサイタルを11月に開きます。これがセンセーショナルな成功を収めると、彼はコンサート・ピアニストとして「引っ張りだこ」になります。評判を聞きつけたイギリス王室はグレインジャーをバッキンガム宮殿に招き、セレブリティたちはこぞって彼をサロンに招き入れました。そんな多忙な生活を送っていたグレインジャーが、ロンドンでグリーグと初めて出会ったのは、1906年のことです。

 初対面のときにグレインジャーが「伝承による19のノルウェー民謡」(作品66)や「スロッテル」(作品72)をコンサート・レパートリーにしていると聞かされたグリーグは、「この私でさえ、演奏会で触れる機会が全くない曲なのに!」と、驚きを隠さなかったそうです。当時すでに「国民的芸術家」として国から特別に終身年金の支給を受けていたグリーグですが、それでも彼の後期ピアノ曲に対する扱いは冷淡だったようで、なかなか演奏される機会に恵まれませんでした(今でもその状況に変化が訪れないのは残念ですが)。そんな中、自作を積極的に紹介してくれる若手ピアニストが現れたのです。

Grieg_grainger

(写真2)1907年、トロールハウゲンにて。左からグリーグ、グレインジャー、グリーグの妻ニーナ、オランダの作曲家ユリウス・レントゲン。

 二人は急速に関係を深めていきます。グレインジャーはグリーグに会うためにノルウェーを訪れ、「ピアノ協奏曲」を初めとする多くの作品について作曲家から直接指導を受けました。そしてグリーグはグレインジャーへの賛辞を惜しみませんでした。彼を「(アントン・)ルービンシュタインの再来」と称えたグリーグは、メンゲルベルクやジロティといった音楽家たちに、グレインジャーを賞賛する内容の書簡を送っています。偉大な作曲家からの強力なサポートを得て、グレインジャーの欧州での名声はより確かなものになりました。ついにはグリーグの指揮、グレインジャーのピアノ演奏によるコンサート・ツアーまで企画されましたが、結局これはグリーグの死去により実現しませんでした。グレインジャーはトロールハウゲンの「グリーグの家」に主(あるじ)を訪ねた、最後の訪問客となりました。

 それにしても、小さい頃あれほど忌み嫌っていたグリーグの作品が、自らのキャリアアップのきっかけになったというのは、何とも味わい深いエピソードではないでしょうか。これは私が将来、子育てすることになったときの参考になるかもしれません。「こんなのやりたくないよ~」と泣き言を言う子供に向かって「何言ってるんだ!イヤでも我慢してやっていたら、将来役に立つことがあるって。あのねぇ、昔パーシー・グレインジャーというピアニストがいて…」みたいな(笑)。

 さて、グレインジャーによるグリーグのピアノ演奏ですが、「ペール・ギュント」から「朝」、そして同じく「ペール・ギュント」から「山の魔王の宮殿にて」がYouTubeにあります。こちらも自動ピアノ「Duo-Art」による演奏のようですね。十分な余韻を持って感情豊かに演奏される「朝」、管弦楽版に決してひけを取らないダイナミズムの「山の魔王~」。ともに必聴です。

Grainger_pianola

(写真3)ピアノロールの編集作業中のグレインジャー(1915年ごろ)。


(参照)John Bird. The reluctant virtuoso. International Piano Quarterly. Autumn 1997. pp.46-61

(※)なおWikipediaには「1892年7月、10歳のグレインジャーはピアノ奏者としての最初の演奏会をメルボルンで開き」とありますが、このエントリーではJohn Bird氏の記述に従い、「12歳で最初のリサイタルを開催」と記しています。

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Comments

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Posted by: Florentina | 2014.02.21 at 23:08

Tenbouさまこんにちは。コメントを頂きありがとうございます。

>グレインジャーと云えばディーリアスとの繋がりもありますよね。
そうですね。そして、この2人を引き合わせるきっかけを作ったのがグリーグなんですね↓
http://www.shinkyo.com/concert/p203-2.html

ケン・ラッセル監督のディーリアス、私は未見です…、て思ったらYouTubeにありましたね(笑)。タイトルは「Song of Summer」ですね。

………。

で見ました。面白かったです。ご教示ありがとうございます。

でグレインジャーですが、確かに風変わりなキャラに描かれてましたね。しかし実際の彼はどんなんだったんでしょうね。興味あります。

聞いた話では、リサイタルを終えた後、アンコールでサックスを持って登場し、そのまま夜中2時頃まで舞台で吹いてた、というエピソードがあるそうですが。

Posted by: おかか1968 | 2008.10.26 at 09:01

グレインジャーと云えばディーリアスとの繋がりもありますよね。昔TVでケン・ラッセルがBBC時代に作った作曲家シリーズのディーリアスの回で彼は「風の又三郎」の様に木の上から現れ、冬、「さよならフェンビー、もう君とは二度と会わないだろう。」って台詞残して疾風のように去ってってました。ケン・ラッセルらしいエキセントリックな描き方でした。今だにそのイメージが付きまとってます。

Posted by: Tenbou | 2008.10.23 at 21:21

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