「ストラディヴァリウス」(横山進一著)を読む
▼アスキー新書「ストラディヴァリウス」
(横山信一著, Amazon/bk1)
最近新書を読む機会が増えた私ですが、読んでいてこれほど「凄み」を感じる新書に出会ったのは初めてかもしれません。世の中には「俺たちスゴイことをやったんだぜ!?」と自慢する輩が沢山います。地球存亡の危機を救ったかのような語り口で、実際は自宅の部屋そうじ程度の仕事しかこなしていない人は、それこそ掃いて捨てるほどいます。しかし本当にスゴイ仕事を成し遂げる人というのは、決して自身が成しとげたことを高らかに自慢したりしないものです。この本を著した横山進一氏は、間違いなく後者に属する人物です。冒頭部で彼は、現存する600挺あまりのストラディヴァリウス(以下「ストラッド」)の半分と対面し、実際にそのサウンドを確かめた、と記しています。実にあっさりと書かれているのでうっかり見落としてしまいそうですが、クラシック音楽に関心のある方なら、さりげなく書かれたその一節の持つ「重み」が実感できるはずです。300挺のストラッドに出会うために、一体どれだけの時間、どれだけのお金が費やされたのか。そもそもそれほど多くのストラッドに出会うためには、楽器に関わっている多くの関係者の「信頼」を得る必要があります。その「信頼」を得るために、著者はどれほど努力したのか。そのことに思いを馳せると、本当に気が遠くなりそうです。
世界中を駆け回り、各地に散在するストラッドを撮影し続ける写真家・横山進一氏の努力の一端が垣間見えるこの新書ですが、内容そのものは実に平易で分かりやすく、だれもが容易にストラッドの歴史、そして楽器の持つ価値について、必要十分な知識を得ることができます。それでいてマニアックな情報にも事欠かきません。以前当ブログでも取り上げた「ハンマー」(ブログ内表記:ハンメル)や「ヴィオッティ」も出てきます。
ですがこの新書の最も優れたところは、著者が長年の経験に裏打ちされた「確かな」情報を読者に提供している点にあります。前述の「ハンマー」にしても、この楽器はオークションの最高値で落札されたけど、それはあくまで「オークションの最高値」であって、実際はそれ以上の金銭的価値のある楽器が存在する、それらの楽器はオークションのような人目に付く場所とは別の形態で取引されている、そして楽器が高額で取引されたからといって、その楽器が必ずしも「良い楽器」とは限らない、等々…。また著者はストラッドにまつわる様々な「俗説」に対しても、実に丁寧に論破していきます。ニスがどうとか木材がどうとか、色々な説が飛び交っていますが、この本を読了した読者には、その全てが取るに足らないものに感じられるでしょう。
私はストラッドの音の特徴について記した一章に、特に強い印象を受けました。その内容については新書をご覧頂くとして、これほど明確にストラッドの音の特徴について記した文章を、私は他に知りません。私のストラッド体験は、恥ずかしいことに片手で数えるほどしかありません。それでもここで記された音の魅力は「本当にそうなんだろうな」「そうに違いない」と感じさせるに十分です。もっともその件も、決して美辞麗句ではなくて実に素っ気なく書かれているので、「えっ、そんなもん!?」と物足りなく感じられるかもしれません。しかしここでも私は、300挺ものストラッドの音を聴いた者だけが語れる、言葉の「重み」を感じるのです。
この本を読了後、横山氏のHPを訪れてみました。そこでは横山氏が撮影したヴァイオリンの逸品の数々を見ることができます。様々な装飾が施された「サンライズ」、艶のある胴体にテールピースの文様がアクセントを放つ「エンペラー」…、どれを見ても「300年のプリマドンナ」と称えられる名器の「気品」が感じられます。これは大判の写真で見たいところです。これらは写真集「Antonio Stradivari in Japan」からの引用だということですが、図書館でこの本を見かけたら、手にとって見てみたいです。
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