「タイムズ」紙がノリントンの「ノン・ヴィブラート」奏法にダメ出し
「プロムス2008」の最終日、いわゆる「ラスト・ナイト」の熱狂ぶりは、今や日本でもおなじみになりました。そのクライマックスで必ず演奏されるのが、イギリス国民にとって「第二の国歌」といわれる、エルガーの「威風堂々第1番」です。
さて今年「ラスト・ナイト」を指揮するのは、独特のノン・ヴィブラート奏法(本人は「ピュア・トーン」という表現を好んで用いますが)で知られるサー・ロジャー・ノリントン(74;写真)なのですが、彼のトレードマークであるノン・ヴィブラートで「威風堂々」を演奏するのはいかがなものか、という意見がイギリスの高級紙「タイムズ」に掲載され話題になっています。
「希望と栄光の国にはヴィブラートが必要だ」("Land of Hope and Glory needs proper vibrato")と題されたこのコラムでStephen Pollard 氏は「ヴィブラートの無いエルガーは、枯れたバラの花に等しい」「黄身の入ってないオムレツのようなものだ」とし、さらには「エルガー自身の指揮による録音を聞くと、ヴィブラートを極めて積極的に使用していることがわかる」「ノリントンのオーケストラ・サウンドは歴史的事実が全く反映されていない。彼は奇妙なことに固執する余り、音楽をだめにしている」と強い調子でこき下ろしています。
このコラムの「火付け役」となったのは、間違いなく先月22日の「プロムス」におけるシュトゥットガルト放送響の演奏でしょう。ここでノリントンはエルガーの「交響曲第1番」を演奏したわけですが、その日の「ノン・ヴィブラート奏法は、プロムスの聴衆にショックを与えた」と、8月3日付の「ガーディアン」紙は記しています。
ちなみに同紙のコラムには、エルガーの「交響曲第3番」の補筆で知られるアンソニー・ペイン氏と、英王立音楽アカデミーのレイモンド・コーエン教授、そしてハレ管の指揮者であるサー・マーク・エルダーのコメントが紹介されていますが、3人ともノリントンの解釈には否定的です。まずペイン氏は「ロジャーはこの問題にこだわり過ぎ、ずいぶん見当違いなところまで行ってしまったように思える」「多くの人たちが彼のエルガーを風変わりだと思っただろう」。コーエン氏は「ノン・ヴィブラートでロマン派の音楽を聞かされると、私の心臓は張り裂けそうになる」「エルガーは草葉の陰で泣いているよ」。同業者のエルダー氏は「確かにロジャーは素晴らしい演奏家だが、彼はこだわりが強すぎる」「歴史的事実からヴィブラートを否定するのは、私は違うと思う。ヴィブラートというのは昔から常に存在し続けていたのだから」と述べています。
なんだか「日本のアンチ古楽派の批評家たちでも、ここまでは書かんだろうな」と思うほど、痛烈な批判のオンパレードなのですが、でもイギリス人にとって「威風堂々」といえば、いわば「至宝」です。そしてファンは「ラスト・ナイト」で長年大事に歌われてきた「希望と栄光の国」に慣れ親しんでいます。ですから今回の一件は、純粋に古楽奏法の善し悪しだけでなく、「まあモーツァルトやベートーヴェンなら許せる。しかし俺たちのエルガーを勝手に変えられちゃあ困る!」的な感情が爆発した面もあるのかな、と思います。
しかし一般紙でこれだけ明確な古楽奏法の批判記事が掲載されると、世論への影響は結構ありそうですね。もしかして今年の「ラスト・ナイト」では、「ノリントン反対派」と「賛成派」の応酬が見られたりするのでしょうか。「威風堂々」の演奏後にわき起こるブラヴォーと、それを打ち消さんとする激しいブーイング…。「何だソレどこの春の祭典!?」みたいな(苦笑)。
(追記)私は以前、当ブログでノリントンの「巨人」について書いたことがあります(→その1、同2)。その記事を読めば、私のノリントンに対するイメージが判っていただけると思います。
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