失われんとするお札への恐れ
「だめだ…、どうしても欲望を抑えられない…。そこに手が伸びてしまいそうだ…」。私はCD店のクラシック・コーナーの一角で悶々としていた。
「…いや、これを手にすればきっと幸せになれる。そして楽になれる。ただ手にとって、レジに持って行きさえすれば、それでいいんだ…」。私は「グレン・グールド・ザ・コンプリート・オリジナル・ジャケット・コレクションをお求めの方はこれを持ってレジまでお越しください」と書いてあるカードに恐る恐る手を差し出した。
「おい、ちょっと待て」。脳内の奥から別の声が聞こえる。「お前はホントにグレン・グールドが好きなのか?胸に手を当てて考えてみればよい。20年前お前は彼の『平均律』を『つまらん』と斬って捨てた挙句、友人に何のためらいもなく譲ったではないか」
「うん、それは事実だ。最初の「前奏曲ハ長調」で「あのスタッカートは無いだろう!」と思ったのは確かだ。だが不惑に近づいた私の耳には、そのときと違ったグールドの声が聞こえるかもしれないし…」
「『インベンションとシンフォニア』もか?」
「そうかも知らんね。速い曲はとことん速くて、遅い曲はとことん遅かったけどね」
「それでは彼のスクリャービンは?」
「ああ、グールドのスクリャービンは分析的に過ぎると思うよ。スクリャービンは如何様にも解釈され得る音楽だと思うし、彼の音楽のアナリーゼは楽しいと思う。でもいざピアノを前にしたときには、その全てを忘れて音楽に没入しないといけない。グールドの場合、作曲家が頭に描いた『設計図』が見えすぎてしまうんだ。特に『ピアノソナタ第3番』の第一楽章で、冒頭のモチーフをグールドが執拗なまでに強調するので辟易してしまったのを憶えてる」
「『それでも聴いてみたい』と欲するのは何故か」
「やっぱりグールドってナンダカンダ言ってもクールだからね。それに彼の音楽を聴いていると、グールドの『波長』とオイラの『波長』が合うときがあるんだ。そのとき「おースゲーな」と心が反応するわけ。その『快感』がタマランのよ。オイラはグールドのバッハとは相性悪かったのかも知れないけど、彼の弾くハイドンやベートーヴェン、それに北欧音楽やヒンデミットなども、聴いていてとても楽しいと思うし」
「確かに彼のレパートリーは、尋常ならざる程に膨大であったな」
「グールドにとって『古典派』とか『ロマン派』とか『無調音楽』とか、そんなことは関係ないのよ。彼にとって重要なのは『ホモフォニー』か『ポリフォニー』かだったんだ。そうでないと彼がバッハとシェーンベルクの二人を偶像視したことの説明が付かないし」
「彼の対位法へのこだわりも尋常ではなかった」
「だからこそ、メンデルスゾーンの名作『6つの前奏曲とフーガ』(作品35)が一旦レコーディングのスケジュールに乗りながら、結局却下されたのが残念で…」
「それでどうするのだ?」
「うーん。とりあえず今は…、『サタンよ消え去れ!』」
頭の中でモヤモヤしたものが晴れた。私はグルダの「モーツァルト・テープス Ⅱ」を手にレジへと急いだ。
(関連記事)
↑グールドの「皇帝」。というより指揮者アンチェルの意図を強く感じる「皇帝」でもある。
(※:この続きはこちらでも見れます→その1、その2、その3)
↑グールドとメニューインによるバッハ「BWV1017」(続きはこちら→その1、その2、その3)。
↑シェーンベルクの「幻想曲」を巡るグールドとメニューインの問答。これを踏まえたうえでこの映像を見るとさらに愉しめると思う。
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Comments
「限定盤」。それはコレクター魂を覚醒させる魔法の言葉…。私もなんど引っかかったことか(笑)。jt様もお気をつけください。
Posted by: おかか1968 | 2007.09.30 07:54
とりあえず、私の脳内から去ったサタンが、「限定盤」という不可解な翼をひるがえしながら、私に襲いかかろうとしています。
Posted by: jt | 2007.09.30 01:12