ジョシュア・ベルに「あっぱれ!」
ヴァイオリニストのジュシュア・ベルをワシントンD.C.の地下鉄駅構内に立たせて通行人の反応を見る、という路上実験(とその結果)が「ワシントン・ポスト」紙の電子版に(隠し撮り映像付きで)公開され、その内容が感心を呼んでいます(日本では音楽評論家の渡辺和様がブログで話題にしています)。彼はカジュアルな服装(頭には地元球団・ナショナルズの野球帽を被っていました)で朝の通勤ラッシュでごった返す「L'Enfant Plaza」駅の片隅に立ち、投げ銭を入れる缶を前にバッハ「シャコンヌ」など数曲を演奏しました。これは事前告知の全くない「シークレット・ライヴ」だったのですが、彼が43分の演奏で得たお金は32ドル17セント(約3800円)でした。この金額が、普段演奏会でベルが受け取るギャラの何分の一なのか、業界関係者ではない私は知りません。しかし彼の演奏に何の注意も払わずに通り過ぎていく通行人たちの映像は、クラシック音楽ファンの一人として衝撃的なものでした。
この報を受け、最初私は「音楽てメッセージとしては極めて脆弱なんだな」とか「人間って、その気にならないと音楽が耳に入らないのかなぁ」などと思ってました。でもしばらく経ってから「どうもそれだけではないのかも…」という疑問が頭に浮かんできて、それからはずっと「どうしてこのようなことに…」と今回の「惨状」の原因をあれやこれやと考えていましたが、どうも頭の中でスッキリとまとまらないままでした。しかし今日、元メガデスのギタリストの(というより「やたら日本語の上手い外国人タレント」として有名な)マーティ・フリードマンが「(アメリカでは)ストリートミュージシャンは、どちらかというとホームレスみたいなイメージです。でも日本ではCDを出しているのにストリートでライヴする人もいるじゃん。アメリカではありえない」と書いているのを見て、私はハタと膝を打ちました。「なるほど。道理でアメリカ人がスター演奏家に振り向きもせず通り過ぎるわけだ」と。「街頭で音楽を演奏するヒト」=「ホームレス」というのがアメリカの風土ならば寧ろ「通行人に警察に突き出されずに済んで良かった」くらいに思わないといけないでしょう。ということで今回敢えて「負け戦」に挑んだジョシュア・ベルに対し、私は極東の片隅からねぎらいの拍手を送りたいと思います。
(追記)おまけ映像です↓
ジョシュア・ベルとグスターボ・ドゥダメルの競演。曲目はチャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」第1楽章です。
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Comments
木曽さまこんにちは。
「朝のラッシュアワーじゃなくて夜だったら」「休日に公園などですれば」というのは正直あるでしょうね。職場へ急いでるときに立ち止まる余裕てないですから。
ただ音楽好きは、もう少しヴァイオリンの演奏に反応してもいいのではないかという気はしますね。まあアメリカなら「歩きながらでも音楽を聴きたい」と思ってる人はiPodを持ってるでしょうから、そんな人はきっとベルの演奏が耳に入らなかったのでしょう、と思っておくことにします。
Posted by: おかか1968 | 2007.04.22 16:43
こんにちは。はじめまして(でしょうか?)。
いつも面白く拝見しています。
これは面白いですね。
アマチュア奏者だったら
43分で3800円でも悪くない気もしますが、
仮にもジョシュア・ベルですからね・・・。
>「街頭で音楽を演奏するヒト」=「ホームレス」
も、なるほどですが、
朝の通勤時間帯というのが、まずかったのでは。
みんな急いでますもの。私だって素通りするかも。
夜や休日なら、多くの人が立ち止まって聴いてくれたかも。
酔っ払いにからまれる恐れはありますが。
Posted by: 木曽のあばら屋 | 2007.04.22 10:55