大阪フェスティバルホールに行ってきました
昨日は「大阪国際フェスティバル」の一環として開催された、ウラディーミル・フェルツマンのリサイタルを聴きにフェスティバルホールに行ってきました。来年中に取り壊されるこの建物を見るのは今宵限りかもと思い、ケータイで写真を撮ってみました。
渡辺橋北詰から撮影。この写真だと判りづらいかもしれませんが、建物の表面には幾何学的な凹凸が施されていて、ややキュビスム建築っぽい外観です。
正面玄関。今年の「大阪国際フェスティバル」は、実に第49回目だということです。そういえばホールのロビーには過去のフェスティバルの舞台写真が所狭しと飾られていました。
リサイタルホール(小ホール)の壁面レリーフ。肥後橋の上流側にある歩行者専用橋から撮りました。
さて肝心のリサイタルです。あくまで個人的な印象ですが、CD演奏で聴く限りフェルツマンは徹底追尾、きっちりと演奏するタイプのピアニストだと思っていたのですが、昨日は所々で「流す」というか、感興に任せて演奏するところがあったりして、そこが私には意外でした。たとえば1曲目の「悲愴」ソナタの第3楽章(ロンド)では、あの憂い気な旋律が4回登場しますが、フェルツマンは4回とも節回しが違っていました(その差はほんの僅かでしたが)。
その一方、フェルツマンのペダリングには熟慮の痕跡があります。たとえば「悲愴」第1楽章の序奏部では、和音を長く響かせるためにペダルを踏み続ける演奏家が殆どですが、フェルツマンは和音が鳴っている途中でペダルを少しづつ上げていました。そのため和音は次第に減衰していきますが、右手はしっかりと鍵盤の上に置かれているので、聞き手の耳に届くのは右手のメロディだけになります。おそらく彼は重厚な和音よりもメロディを強調したかったのでしょう。このあたりは考え抜かれた音楽表現だと思います。
さて、この日私の周りにいた見知らぬ観客は「ベートーヴェンが良かった」などと語り合っていましたが、私は後半の「展覧会の絵」のほうが心に残りました。細かなニュアンスの表現は、もしかしたら日本人ピアニストの方が上手いかもしれません。しかし何よりも「ロシア人がロシアの曲を弾いてる」的なピアノの響きが聴けて私は満足です。「プロムナード」や「キエフの大門」での強い打鍵と、芯の一本入ったようなピアノサウンドからは、ムソルグスキーのオペラに通じる壮大なスケール感がありました。
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(Program Note)
Vladimir Feltsman Piano Recital
Date:April 21, 2007
Venue: Festival Hall, Osaka
1.Beethoven:Piano Sonata No.8 in C minor Op.13 "Pathétique"
2.Beethoven:Piano Sonata No.31 in A flat major Op.110
3.Mussorgsky:Tableaux d'une Exposition
4.(Encore)Schumann/Liszt:Widmung
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