【不定期連載】全く役に立たないロシアピアニズム・ガイド③ ゲンリヒ・ネイガウス
忘れた頃にやってくる「役に立たない」ガイドです(笑)。前回はソフロニツキーでしたが、今回はゲンリヒ・ネイガウスです。
「リヒテルの師」として紹介されることの多いネイガウスですが、生前の彼は旧ソ連楽壇においてまさに「重鎮」的存在でした。リヒテルだけでなくザーク、ギレリス、ルプーらをモスクワ音楽院で指導する一方、流刑の後遺症である右手の障害を押して、演奏活動も続けました。
音楽家一家に生まれ、シマノフスキとも親戚同士という、音楽家の血筋としても申し分のない彼は、幅広い音楽知識を持つことでも知られていました。彼の古今東西の音楽や演奏家に対する関心には尋常ならざるものがありました。以前当ダイアリーでも少し触れた「モスクワの前衛音楽家」(カレトニコフ著、ISBN:4794803265)では、ウェーベルンの作品を理解しようと1ヶ月間毎日テープで繰り返し聴き続けたというエピソードが紹介されています。
さて90年代に発売されたCD-BOX「ゲンリヒ・ネイガウスの遺産」(DENON, COCO-80271/81)を聴いてみると、ネイガウスの演奏は、ロマン派の衣を纏ったものであることは間違いありません。ピアノをブルーメンフェルトやゴドフスキーに師事した彼の旋律部での自在な表現力は見事なものですし、現在の基準からみると結構大胆な劇的表現も見受けられます。しかしネイガウスの音楽は「ロマン的」といっても決して箍が緩んだり、取り乱した印象は受けませんし、音楽には一貫したナチュラルな流れを感じます。
実は彼の音楽を語る上で重要な発言を、ネイガウス自身が行っています。
「きみが最初にテンポを早めるのならば、後でテンポを緩めるように。誠実な人間でありなさい。-平衡感覚と調和感を復活させなさい。」「…しかし調和とは、それは何でしょう?それは、なによりも全体を感じ取る力です」 (「ピアノ演奏芸術:ある教育者の手記」から)
これは「ルバート」についてのネイガウスの見解なのですが、「誠実」「調和感」「全体を感じ取る」、どれをとっても彼のピアノ演奏を表現するのに相応しい言葉ではないでしょうか。ネイガウスは、ロマン派的な表現を継承しながら、その中に一定のバランス感覚を重視していたのです。このように情熱と知性を併せ持つところが彼の特徴ではないでしょうか。もちろん彼の傑出した表現力は、肉体的ハンデを完全に凌駕しています。
さて上記CD-BOXの演奏の中で先ず聴くべきは、堂々たる中に円熟味を感じさせるブラームスでしょう。この雰囲気は他の演奏ではなかなか味わえない類のものです。また詩情とスケール感が共存するショパンのソナタも捨てがたいです。また一般的にはロマン性豊かなスクリャービンの評価が高いようですが、個人的には劇的造形力が見事なベートーヴェンのピアノソナタを採りたいです。中でも「テンペスト」での大胆でありながら絶妙なテンポ設定は、音楽に「感情」を吹き込んでいて、この曲の個人的な「お気に入り」演奏の一つになっています。
(写真)病床のネイガウスと、彼を見舞うアルトゥーロ・ルービンシュタイン。
(参考)
現在ゲンリヒ・ネイガウスの録音は、DENONレーベルの廉価盤シリーズ「ロシア・ピアニズム名盤選」として5タイトルが発売中です。このエントリで触れた演奏では、ブラームス、ショパン
がリリースされています。
しかしベートーヴェンやスクリャービンのピアノソナタは今回は選に漏れてしまったようで、これらを聴くには上記CD-BOXを中古で探すしかなさそうです(11/19追記)ベートーヴェンのソナタが11/22に再発売されます!一方スクリャービンのソナタはまたも選に漏れました…。
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