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2006.08.31

【不定期連載】全く役に立たないロシアピアニズム・ガイド② ソフロニツキー

Sofronitsky_portrait01 ウラディーミル・ソフロニツキー(1901-1961)の音楽は情熱的でロマンティックではありますが、甘くメロディを歌わせて人々の気を惹くタイプの音楽家ではありません。彼の演奏はもっとシリアスで、というよりもっと刺激的で、危いものです。ときにはギョッとするような音符のデフォルメを見せたり、わざと楽譜の指示に逆らってリズムや音価を崩したりします。そのような「揺さぶり」のため、演奏のテンポが時に定まらなくなり、音楽には不安定な感覚が生まれます。これらは聴き手を精神的に緊張させ、時には不安感すら与えます。このようなナーバスな表現を持つ一方で、時にはノーブルで上品な演奏を聴かせたり、影が差したような「暗さ」を見せたりと、ソフロニツキーは一筋縄ではいかない多彩な表現力を持っています。

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(写真)モスクワ音楽院大ホールでの演奏会の様子(1952年)

 以上のようなソフロニツキーの演奏解釈は、とりわけ彼の義父でもあるスクリャービンの演奏において、その独自性を遺憾なく発揮します。他の演奏家だと「楽譜をいかに音にしていくか」という知的作業を感じますが、ソフロニツキーの演奏では「楽譜」自体よりも、そのなかに作曲家がインプリントした本能的、情動的、そして官能的な発想がそのまま音になっているかのようです。

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「RUSSIAN PIANO SCHOOL - VLADIMIR SOFRONITSKY」(BMG/MELODIYA, 74321 25177 2)

 ここに収録された「ピアノソナタ第4番」(Disc 2:Track 4&5)で彼のスクリャービン解釈のおおよそを知ることができます。ソフロニツキーを聴いたあとで他の演奏(たとえばアムラン)のCDを聴くと「これはホントに同じ曲なの!?」と思うほど、リズム感やら音の「間」やら、とにかく音楽の「空気」が全然違います。

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「Vladimir Sofronitsky Scriabin Edition Vol.2」(Arlecchino, ARL 42)

 「練習曲・作品8-2」(Track 1)の冒頭の下降音形からして、上から叩きつけられるようなパワーが強烈です。一方「同・作品8-5」(Track 3)では、暗闇で灯された蝋燭のようなほのかな温かさを感じます。「ピアノソナタ第3番」(Track 14-17)では冒頭の圧倒的なスケール感と、フィナーレでの大蛇が蠢いているようなおどろおどろしさが印象的です。「炎に向かって」(Track 21)はもはや音楽を超えて「情念」がそのまま音になったと感じさせる程の「妖気」あふれる演奏。

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「Vladimir Sofronitsky Robert Schumann Vol.1」(Arlecchino, ARL 1:「クライスレリアーナ」を収録)
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「ウラディーミル・ソフロニツキー・エディション VOL.1」(Denon, COCO-80074/5:「幻想曲」「交響的変奏曲」「謝肉祭」を収録)

 生前のソフロニツキーはバッハからプロコフィエフまでの幅広いレパートリーを誇っていました。母国の偉大な先輩アントン・ルビンシュタインに倣い、バロックから20世紀音楽までを一晩で演奏するリサイタルを開いたこともありました。もちろんドイツのピアノ音楽も彼の主要なレパートリーでしたが、中でも私はシューマンに強く共感します。単調なリズムを刻み続けるシューマンのピアノ曲は、得てして繰言を聞いてるような気分にさせられるのですが、ソフロニツキーの演奏だと、音符一つひとつに何らかの意味が与えられ、短いモチーフ(音形)には喜怒哀楽の様々な感情が吹き込まれていきます。その結果音楽が演劇のように生き生きと躍動し出すのです。それは「謝肉祭」「クライスレリアーナ」のような戯画的な性格の作品だけでなく、「幻想曲」「交響的変奏曲」のような絶対音楽的な要素を持った作品でも同様です。

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「ウラディーミル・ソフロニツキー・エディション VOL.2」(Denon, COCO-80149/50)

 これは全くの私見ですが、ソフロニツキーのショパン演奏が今でも賛否両論なのは、演奏が暗すぎるからではないでしょうか。彼のショパンは「愁い」を飛び越えてもっと本質的な「悲しみ」を表現しています。例えば「英雄ポロネーズ」(Disc 1:Track 38)。ホロヴィッツの演奏(録音時期は問わず)と比較すると、その差は歴然です。ホロヴィッツの方は堂々としていて輝かしく、まさに英雄の凱旋風景です。一方ソフロニツキーからはホロヴィッツの持つ痛快さが微塵も感じられません。全体は重くてひきずるようなテンポで貫かれ、中間部で意表を突くリタルダントをする箇所では「音楽が止まってしまうのでは」と思うほどです。この痛々しさは「アンチ・ヒーロー」と例えるべきでしょうか、または「傷ついた英雄」と言うべきでしょうか。それとも誇張も美化もされない、真実の英雄の姿でしょうか。
(この項つづく

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(写真)ソフロニツキー(一番左)とプロコフィエフ(左から2人目)(1928年)

(参考)International Piano Quarterly. Autumm 1998. The Pianist's Pianist.

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