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2006.02.21

五輪、そしてウェブラジオで聴くモーツァルト

inoue_baldwin あー最近更新が滞り気味でしたね。なにしろ五輪ばかり見てるもので。しかし日本国籍の選手のメダル獲得数が少ないのに毎日観戦してるなんて、よほどスポーツ鑑賞が好きなんでしょうね。それはそうとフィギュアスケートでのボールドウィン・井上怜奈組(写真)のフリー演技、皆さん気になりませんでしたか?曲はショスタコーヴィチ「交響曲第5番」の最終楽章だったのですが、あの曲は数小節毎にギアチェンジの如くテンポが速くなっていくので、滑る方が音楽の進行に合わせてステップを踏めばどんどん早足になって終いには足が追いつかずに両足がもつれてしまうんじゃないかないと心配したのは私だけですかそうですか。
 あと家では五輪の合間にネットラジオを聴いてますね。今年に入って本格的に聴き始めたのですが、聴き方のコツさえ掴めればこれほど便利なものはありませんね。なにしろ毎日コンサートのライブ録音が何種類も楽しめるのですから。番組内容のチェックにはこの番組表wikiを参考にしているのですが、この番組表がライブ放送の全てというわけではなくて、リストから漏れてるものも沢山あります(特に古楽系)。なので最近は各放送局公式サイトの番組表を言葉の壁と闘いながら眺めるのが日課になりました(苦笑)。さて今後折に触れてネットラジオを聴きながら感じたことをを気が向いたときにでもだらだらと書いてみたいと思うのですが、まずはモーツァルトから。

Dausgaard 本当にたくさんのモーツァルトがネットラジオでオンエアされていましたが、企画モノで面白かったのはデンマーク国立放送響の「Mozart Festival」(→公式サイトのプログラム)でした。ここで全てのコンサートを指揮していたのはベートーヴェンのCDで有名なトマス・ダウスゴー(写真)です。実は彼の演奏をきちんと聴いたのは初めてだったのですが、きびきびしていて爽快な演奏は躍動感がありました。デンマーク国立放送響の精度の高いアンサンブルもその音楽作りに貢献するところ大でした。また共演のソリスト達(主にピアニスト)の中ではフィンランド出身の若手ユホ・ポヒョネン(→プロフィール:英語)の明るくて軽やかなタッチが際立って印象的でした。フィンランドといえば、ムストネン、そしてアンティ・シーララなどの若手も多く輩出していますし、もしかしたら指揮者だけでなく今後「ピアニストの名産地」と言われそうな予感がします。それからスティーヴン・ハフの「ピアノ協奏曲第23番」(K.488)のカデンツァ(ソリストの自作?)には虚を衝かれました。カデンツァの約束事に則り第1楽章のテーマで構成されてはいたのですが、和声が完全にクラシックから逸脱していて、その部分だけ聴くとジャズというかフュージョン系の音楽にしか聞こえない、というモノです。今後ハフの「K.488」を実演で聴くときは注意しましょう(苦笑)。
 ピアノといえば、大御所の内田光子やブレンデルの存在感も光っていました。内田光子はザルツブルグでのモーツァルトの誕生日に行われたガラ・コンサート(1/27:写真はそのときのムーティと内田光子)でチェチーリア・バルトリと共演しました。そしてこの珍しい共演(これが最初で最後でしょうね)の後、バルトリはウィーン・フィルをバックに有名な「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」を歌い上げたのですが、その2曲での彼女の歌唱が好対照というか、全然違うのです。内田光子とのアリア「どうしてあなたが忘れられよう」(K.505)での抑制の利いた、気品溢れる淑女のような歌唱と比べて、「踊れ~」でのよく言えば開放的、悪く言えば野放図かつ無遠慮な歌いっぷりはどうしたことでしょうか。まあ私が「踊れ~」に対して抱く「天使のような美しさ」というイメージを思いきり裏切った演奏に当惑しているだけかもしれませんが、それにしても内田光子が「ある時」と「ない時」の差の激しさに驚いたのは事実です。このコンサートで「ピアノ協奏曲第25番」(K.503)のソリストとして登場した彼女の音楽からは独特の落ち着いた雰囲気が感じられました。今やモーツァルトは映画「アマデウス」のイメージが完全に染み付いてしまいましたが、内田光子の音楽からは映画のキャラのような児戯性は微塵もありません。これぞまさに「大人」の音楽です。
 そのような風格はブレンデルとベルリン・フィル(ラトル指揮:1/27)によるカーネギーホールでの演奏会でも感じられました。プログラム前半の「ピアノ協奏曲第27番」(K595)では、後半の交響曲「プラハ」の平均点的演奏とはまるで別世界の、シリアスな音楽が展開されていました。落ち着いたテンポで進行する音楽からは(長調であるにも関わらず)楽天的なところがなく、全体を黒い影が覆っています。特に緩徐楽章での暗さは際立っていて、まるで葬送行進曲のようです。そうですね、別の曲で例えるとマーラーの「交響曲第9番」のアダージョにも近いものすら感じさせます。それほど暗い音楽でした。ともあれ彼らのような「ある時」と「ない時」の差を存分に感じさせてしまう、それほど影響力の強いアーティストこそ「巨匠」と呼ぶに相応しいのでは、と思わずにいられませんでした。

(参考)
Mozart. Piano Concerto No.19 in F major K.459, Juho Pohjonen(Piano)Thomas Dausgaard & Danish National Symphony Orchestra. (January 21, 2006; Danish Radio Concert Hall)
Mozart. Piano Concerto No.23 in A major K.488, Stephen Hough(Piano)Thomas Dausgaard & Danish National Symphony Orchestra. (January 26, 2006; Danish Radio Concert Hall)
Mozart. Piano Concerto No.25 in C major K.503 / Szene and Rondo for Soprano and Orchestra with Obligato Piano. "Ch'io mi scordi di te...Non temer, amato bene" K505 / "Exsultate, jubilate" K.165, Cecilia Bartoli(Soprano)Mitsuko Uchida(Piano)Riccardo Muti & Wiener Philharmoniker. (January 27, 2006; Salzburg Grosses Festspielehaus)
Mozart. Piano Concerto No.27 in B flat major K.595, Alfred Brende(Piano)Sir Simon Rattle & Berliner Philharmoniker. (January 27, 2006; Carnegie Hall)

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