弦楽四重奏団が、メンバー同士で激しい「不協和音」
弦楽四重奏団といえばメンバー交替はさほど珍しいことではありませんが、アメリカではそのメンバー交替を巡ってトラブルとなったクワルテットがニュースを賑わせています。「ニューヨーク・タイムズ」紙の今月11日付の記事によると、オウデュボン弦楽四重奏団(写真:The Audubon String Quartet)の元第1バイオリン奏者であるDavid Ehrlich氏が、自分を退団させた他の団員3人を訴えた裁判で、ヴァージニア州の裁判所は、団員3人に対しEhrlich氏に賠償金61万1000ドル(約7240万円)を支払うよう命ずる判決を下しました。この賠償金を支払う能力のない団員たちに対して裁判所が財産を差し押さえたため、団員は家や家財道具はもちろん、仕事に欠かせない楽器も最悪の場合手放さなければならなくなり、団員たちは途方に暮れています。
きっかけはリハーサルでした。1993年のある日、Ehrlich氏は自ら音楽学校経営に乗り出すという話を始めたのですが、「そんなのうまく行かないよ」と戒めた団員とのあいだで言い争いになってしまいました。そのときのリハーサルで他のメンバーの音がいつもより大きくて自分の音をかき消そうとするのを感じたEhrlich氏は「いつか大きい音のする楽器を手に入れよう」と決心します。彼はその希望を叶えるべく、1735年製のカルロ・ベルゴンツィが製作したヴァイオリンを手に入れます。しかし名器の豊かなサウンドも他のメンバーにとっては歓迎できないものでした。第1バイオリンのの圧倒的な音量は「他の楽器の音を台無しにしてしまうこともあった」と同団の創設時以来のメンバーであるチェロ奏者のClyde Shaw氏は述べています。
オウデュボンSQはバージニア技術大学のレジデント・クワルテットでもある関係上、メンバーたちは同大学で教育職に就いていましたが、1998年にEhrlich氏は、Shaw氏が自分を大学のポストから外そうと動いているのを知り、逆にShaw氏に辞職を要求します。このような第1バイオリンと他のメンバーとの緊張関係は、2000年になるとより先鋭的になっていきます。殴り合いになりそうなほどの感情的な衝突のあったリハーサルの後、Ehrlich氏が他の3人を訴えることを匂わせる発言をしたため、3人は弁護士に用意させた退団通知の手紙をEhrlich氏に手渡しました。Ehrlich氏は即座に3人を告訴すると共に、オウデュボンSQの活動停止の仮処分も申請しました。裁判所は請求を受理し、3人は処分期間中「オウデュボン」の名前をプログラムに載せることが出来ないまま演奏活動を続けることを余儀なくされました。現在は仮処分も解け、新たなヴァイオリン奏者を招いて「オウデュボン」を名乗って演奏活動を行っていますが、今回の判決は今後のクワルテットの活動への影響が大きく、「楽器は私たちの声、私たちの魂なのに…」とメンバーたちは嘆くことしきりです。
この団員間の凄まじい「不協和音」に対し、音楽界の意見は真っ二つに分かれています。エマーソンSQのヴァイオリン奏者のユージン・ドラッカー氏は「この問題を司法の手に委ねるのは室内楽の精神に反する」と述べていますし、覆面作曲家「P・D・Q・バッハ」としても知られ、オウデュボンSQとも縁のある作曲家のピーター・シッケル氏は「演奏家が、演奏家の楽器を取り上げてしまうなんて、何ともいたたまれないね」と嘆いています。一方Ehrlich氏を擁護する音楽家も沢山います。フェルメールSQのメンバーのマーク・ジョンソン氏はEhrlich氏が退団させられたその手法を「良心的ではない」と述べていますし、ピアニストのアントン・クエルティ氏は「EhrlichによってオウデュボンSQは第一級のアンサンブルになった」と彼の功績をたたえています。
私にはEhrlich氏と他の3人のどちらが悪いのかは判断できません。ただこのニュースを伝える「ニューヨーク・タイムズ」紙の記事を見る限り、今回の判決には問題点が3つ存在するような気がします。一つは裁判官がEhrlich氏をオウデュボンSQのオーナー兼ディレクターと認定し、それを慰謝料請求の根拠としていることです。この判断自体、私にはすごく疑問です。極論ですがこれは「ベルリン・フィルはサイモン・ラトルの所有物だ」といってるのと同じことです。いくら音楽的にリードしているといっても、第1バイオリンに団体の所有権がある、という判断にはどうしても違和感を感じてしまいます。そもそもEhrlich氏は1984年に加入したメンバーです。創立以来のメンバーのShaw氏にとっては、後からやって来たEhrlich氏にクワルテットを横取りされたような気分かもしれません。2つめは慰謝料の算出方法です。60万ドル以上の賠償金のうち40万ドルは、裁判官が算出したオウデュボンSQの「評価価格」の1/4に相当します(残りは、弁護士費用132,844ドルと、クワルテット名義の資産78,275ドル)。この「評価額」の算出法などをアドバイスしたバージニア技術大学の専門家は、Ehrlich氏の友人でした。3つ目は原告・被告双方とも和解の意思を示していたにもかかわらず、裁判官が判決を出すことに固執したことです。この裁判官の頑なな姿勢にも疑問が残ります。
(追記)…と書いてたら「ニューヨーク・タイムズ」紙に、この事件の続報が出ました。破産裁判所が楽器の没収を決定したため、Shaw氏は今月23日までに楽器を手放さないといけなくなりました。1887年製のチェロを没収される同氏はインタビューに対し「言葉が見つかりません」とコメントしています。
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