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2005.09.12

ゴールドシュタインの「交響曲第21番」

Ovsyaniko-Kulikovsky_CD 先日ネットラジオで「Bayern 4 Klassik」を聴いていたらミハイル・ゴールドシュタイン(Michael Goldstein)の「交響曲第21番」が流れてきたので、「LOCK ON」を慌てて立ち上げて録音しました。冒頭部を録り逃してしまったのは残念ですが、とりあえずネーメ・ヤルヴィ指揮(←こんな曲を取り上げるところが「交響曲全集男」父ヤルヴィらしい)、北ドイツ放送響の演奏でこの珍曲を聴くことができて良かったです(※1)。
 この曲は当初ニコライ・オフシャニコ=クリコフスキーの作品として第2次大戦後の旧ソ連では何度か演奏され、ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルによる録音(→amazon.de:写真)も遺されています。ウクライナで作曲活動をしていたゴールドシュタインがなぜわざわざ(生前のクライスラーのように)自作に別人の名前をクレジットするという行為に及んだのでしょうか。

 ウクライナ在住のユダヤ人であるゴールドシュタインはかつてウクライナ民謡をモチーフにした作品を発表したことがあったのですが、批評家からは「作曲家はウクライナ音楽を理解していない。この曲には異なった血が流れている」と批判されました。その批評に呆れたゴールドシュタインは、無理解な評論家たちを一泡吹かせてやろうと、ある行動に出ます。それは自作を「19世紀前半のウクライナ人の作曲した交響曲だ」と偽って発表し、ソ連音楽界を信じ込ませることでした。作曲家としてその名を拝借した「ニコライ・オフシャニコ=クリコフスキー」という人物は、19世紀のウクライナに実在した大地主です。彼は「自ら所有する農奴達によるオーケストラを1810年にオデッサ劇場に寄贈した」という逸話が遺されているので、かなりの音楽好きだったのは間違いないでしょう。そのエピソードに目を付けたゴールドシュタインはご丁寧にも「交響曲第21番」に「オデッサ劇場に捧げる」という副題を付けました。
 当時オデッサ音楽院で図書館の司書をしていたゴールドシュタインが「音楽院の倉庫から1809年作曲の交響曲の楽譜が発見された」と1949年に発表すると、当時のソ連楽壇は「我が国にもハイドンやモーツァルトと同時代に21曲もシンフォニーを書いた作曲家が存在したのか!」と大騒ぎになりました。「発見」の年の1949年にはオデッサとキエフで演奏され、1951年には楽譜も出版されました。そして前述のムラヴィンスキーの録音も行われます。
 今改めて「交響曲第21番」を聴くと、管弦楽法、とくにティンパニの使い方が古典派らしくありませんし、第4楽章などは冷静になって聴くと「社会主義リアリズム」の典型のような曲です。それでも多くの人がこの「新発見」に騙されたのは、恐らく「ロシアにも古典派時代にシンフォニストが居た」というニュースが、スターリン統治下のソ連人の愛国心を大いに刺激したからでしょう。愛国心が人々の目を眩ませる、そのまさに典型例となったわけです。
 それでも「これはおかしいぞ…」と気づく人もちゃんと居るもので、音楽学者のタラノフ氏が「一度楽譜を見せてくれ」と真贋判定を申し入れました。調査の結果タラノフ氏は「この作品はオフシャニコ=クリコフスキーのものでも、ゴールドシュタインのものでもない」という判定を下しました。鑑定家は「交響曲第21番」を「ゴールドシュタインのオリジナル」だとは見抜けませんでしたが、ゴールドシュタインは楽壇から「嘘つき」「反逆者」という烙印を押されてしまいます。ソロモン・ヴォルコフ著の「ショスタコーヴィチの証言」にもゴールドシュタインのことを「天性のいたずら者」と紹介する一節があります。
 その後の彼は東ドイツ(当時)に移住したあとイスラエルで音楽学者として活躍し、イギリスの「メニューイン・ミュージック・スクール」や武蔵野音楽大学(!)などで講師を勤めます。そして晩年にはハンブルグに居を構え、「リーマン音楽事典」の編集委員などを務めたのち、同地で1989年に亡くなったということです。
 「偽作」を巡る論争は音楽界ではよくある話ですが、この「交響曲第21番」はなかなかユニークで興味深い一例ですね。ところでロシアにはプロコフィエフの「古典交響曲」、そしてショスタコーヴィチの「第9番」と、古典派様式のイミテーションが散見されます。今回のゴールドシュタインのケースと重ねてみると、古典派時代を経ることなく音楽界を発展させることを余儀なくされたロシア楽壇が潜在的に持つ、西欧に対するコンプレックスが垣間見えるような気がするのですが、これって考えすぎでしょうか。ついでに言うとロマン派を経ずに楽壇を立ち上げた日本の「西欧コンプレックス」を具現化したのが吉松隆の交響曲だったりするのではないかと(←これはさすがに無理がありますね)。

(※1)「Bayern 4」では今年9/10にオンエアされました。その日のプログラムはこちらをご覧下さい。

(参考)
NOTES ABOUT NIKOLAI DMITRIEVICH OVSYANIKO-KULIKOVSKY'S SYMPHONY NO. 21 IN g MINOR (by Frank Forman; January 10, 1993)
Music under Soviet Rule - Shostakovich, Zamyatin, Goldstein, and The Bolt (1993)

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Tracked on 2005.11.01 15:15

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