グレン・グールド「ゴルトベルク変奏曲」55年録音のスペシャル・エディションについて
ブダペスト弦楽四重奏団のヴァイオリン奏者、アレクサンダー・シュナイダーは1955年1月2日、ワシントンでピアノ・リサイタルを開いた若干22才の青い瞳をしたカナダ人の演奏に目を見張り、その翌日レコード会社CBSのディレクターに「彼のニューヨーク・デビューを聞き逃さないように」と電話で伝えました。そして「彼と録音契約を結ぶべきだ」と強く薦めます。
1月11日に行われたニューヨークでの演奏会の観客は約250人という少なさでしたが、彼の噂を聞きつけた音楽界関係者が多数訪れました。その中にはパウル・バドゥラ=スコダやウィリアム・カペルら同業者の他に、シュナイダーの薦めに従い演奏会に足を運んだCBSのディレクターもいました。演奏を聴いて感激したディレクターはそのピアニストと2年間の録音契約を結びます。そして6月6日に長い丈のコートに身を包み、綿帽子を被り、手袋をつけたグレン・グールドがニューヨークのスタジオに初めて姿を見せたのです。
今年はCBSによるグールドの「ゴルトベルク変奏曲」のレコーディングから50年ということで、それを記念してソニー・クラシカルから分厚いブックレット付のデラックス・エディション「BIRTH OF A LEGEND」(写真)が発売されました。このディスクにはCBSに眠る録音セッションのテープから、興味深いテイクの幾つかがセレクトされて併録されています。もっとも当時録音に携わったエンジニアは「生前のグールドなら未発表テイクを公にすることはOKしないのでは」と推測し、「もし生きていればCBSの関係者を手当たり次第拳銃で撃ち殺すだろうね」と、ブックレットに収録されたインタビューで語っています。そんな風に言われると却って聴いてみたくなるのが人情というもの。実際に聴いてみると、これら未発表音源は確かに「禁断の果実」のような危険な香りを放っていました。
「ゴルトベルク変奏曲」の第30変奏を収録していたとき、副題の「クオドリベット」(Quodlibet)についてグールドは語り始めます(Track 33)。「”クオドリベット”ってどういう意味か分かるかい?これは当時ドイツで流行ったポピュラーソングを同時に演奏することなんだよ」と講釈を垂れるグールド。そして「僕もこのあいだ風呂に入っているときに”クオドリベット”を思いついたよ」と話すとアメリカ国歌と「ゴット・セイヴ・ザ・クイーン」の同時演奏(!)が始まります。このグールドの威風堂々とした演奏には、聴いていて身が引き締まる思いです。
これ以上に驚かされるのは、「ゴルトベルク」と同時期に収録されながらもお蔵入りとなった「インベンションとシンフォニア」からの3曲のシンフォニアです。時間が止まるような「第9番ヘ短調」(Track 35)、そして「第15番ロ短調」(Track 37)の壮絶さすら感じる激しさ、ともにグールドらしい独創的なもので、強烈なインパクトを聴く者に残します。特に後者は、同郷の後輩アンジェラ・ヒューイットのそれと聞き比べると、あまりの違いに唖然とします。
本編の「ゴルトベルク」についてですが、これまでにリリースされたディスクとの音質の比較などは、私以上にグールドに詳しい方におまかせしたいと思います。実を言うと、私は55年盤を聴くのは初めてだったのですが、それにしても「緊張」と「緩和」のコントラストが激しい、まばゆいばかりの光を放つ鮮烈な演奏ですね。グールドの演奏は「スウィングするバッハ」と言われたりしたのですが、バッハの楽譜から「快楽」を見いだし、それを鮮やかに表現するというグールドの独創性が素晴らしいです。
(Sony Classical, Cat #. 82876698352, ASIN:B0009DC9GQ)



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