あるミュージシャンの死
カルロス・クライバー逝去。享年74歳。謹んでお悔やみを申し上げます。
元々たくさんの仕事を精力的にこなす指揮者ではなかったし、ここ数年は指揮活動の報に触れることはなく半ば引退しているような状態だったので、何となく存在感が以前ほどではなくなってはいたのだが、改めて訃報に接すると私のような熱心なクライバーの信奉者とはいえない者でも喪失感を禁じ得ない。
この喪失感はきっと彼の数少ない演奏機会が私に強烈な印象を与えたゆえであろう。今私は1986年の来日公演のビデオを見ながらタイプを打っているのだが、彼の指揮姿からして型破りでビジュアル面でのインパクト抜群である。これはある種の舞踊である、といっても決していいすぎではない位だ。彼は自分の求める音楽を表現するためなら全身を使うことを厭わない。音に力を求めるときは両腕をグルッと大きく回し、滑らかな流れを表現したい場合は両手は体の前で正弦波を描く。激しいアタックが欲しければ大きく腕を上から下へ振り下ろし、その時体幹は崩れんとするかのように大きく前掛かりの姿勢になる。こんな動きを数十分間休みなく続けるわけであるが、この所作のひとつひとつが華麗で躍動感に溢れており、見ていて飽きさせない。
彼の指揮姿の特徴である躍動感は彼の生み出す音にも共通するものである。そして彼の生命力あふれる演奏解釈はそのたたみかけるようなテンポとも相まって、誰の耳にも他の演奏と明瞭に聞き分けられる非常に分かりやすいものである。彼が多くの人の耳を捉えて離さなかったのも、その「分かりやすさ」故ではないかと思う。
彼の練習風景のビデオが以前発売され、私もテレビで拝見したが、そこでのクライバーは彼の派手な指揮姿とは異なり地味なものであった。しかしオケ奏者に対し「ここでは他の楽器が聞こえる位音を落として」などと極めて実際的な指示を与え続けていたのが私には印象的だった。「楽譜通り弾いて」とか言ったり講釈を垂れたりすることなく、音の表現、奏者間の音のコミュニケーションを重要視する演奏姿勢は極めて音楽的である。そして音楽を全身で表現する彼は芸術家というより(語弊を恐れずにいうと)「ミュージシャン」という言い方の方が個人的にはしっくりくる。そんなクラシック音楽界でも希有な存在を失い、改めて残念に思う。
でクライバーの数少ないディスコグラフィーから何か一つ、となると何にしましょうか。というわけであまり皆さんが挙げなさそうなシュトゥットガルト放送響とのボロディンの「交響曲第2番」(Mediaphon:75.103)を一押ししておきますか(笑)。それから上記の来日公演、これは映像込みでDVDの発売を希望したい。アンコールで一言「こうもり」と客席に声を掛けてから颯爽と始まる「こうもり序曲」は素晴らしかった…。
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