「サッカー批評」第22号
表紙が秀逸でないか。正式なタイトルは「日本サッカーの論点」となっているが、表紙にはハッキリと"Rhapsody in Blue"の文字が認められる。「ラプソディ」とはソナタやフーガと異なり自由奔放なスタイルの作曲様式を指す。「ラプソディ・イン・ブルー」といえばガーシュインによる名曲だが、あの冒頭のクラリネットの旋律が物語るように、「ブルー」とは「物憂げな」という意味で用いられている。自由を標榜する今の日本代表の憂鬱。これこそ今のA代表を物語るにふさわしい文句でないか。
サッカーと音楽の符合を見せた今号の「サッカー批評」の表紙をめくると、更なる音楽とスポーツの邂逅に出くわす。冒頭の市原のオシム監督とのインタビューで、現役時代彼が「グルババイツァ(当時の所属チームの本拠地)の(ヨハン・)シュトラウス」と謳われたことが明らかにされる。この渾名からフィールドでの彼の動きが舞踏会の円舞のごとき軌跡を描いていたであろうことは想像に難くないが、今の市原の選手たちの動きをみると、指導者となってからもピッチ上でかくの如く動くよう指示しているのではないかと邪推したくもなる。これとは別に小生は(こんな記事が出ちゃうとTVでオシム監督が映ると「皇帝円舞曲」がバックに流れるんだろうか)などと余計な事に思いを巡らせるのだが。その他にも読み応えのある記事が続くが、個人的にはp.74からのフロンターレの名前を地元へ浸透させるための取り組みについての記事に心惹かれた。あの熱狂のGゾーンの裏にはスタッフによる地道な努力、例えば企業色を薄めるために社名を変えたり、下からの声をどんどん吸い上げるなどの外からは見えない仕事の積み重ねがあったのかと感心した。最後の対談での後藤健生氏の名調子も面白く読めた。このように最初から最後まで読み応えある「サッカー批評」、次号から大幅に刷新するらしい。どんなふうに進化を遂げるか期待したい。
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